姉、父、母について

自分が今抱えているストレス(悩み)に対して、ある程度の距離を置いて考えてみたいと思う。最近読んだ本にも、悩みとの関わり方の一つの手段としてこの方法が書かれていた。

今の最大の悩みは「育ってきた家族との関わり方」についてだ。

姉と私の関係性を、これまでの「英語学習」に焦点を当てて見ていきたい。

 

私は昔から英語にコンプレックスがあった。

いや、それは嘘だ。

高校まではそんなことはなかった。寧ろ得意分野で大好きだった。テストもよくできたし、発音も褒められ流暢だとよく言われたし、英検も早いうちにとれたし。やはり得意だと好きになる。好きだと得意になる。海外への憧れも多分姉の影響だけどあったから、だからこそ将来は留学行きたい、とか、英語使って働きたいって思った。あの思いは純粋無垢な気持ちだったと思う。

 

話は飛ぶが、念願叶った学生時代の休学留学中、ホストマザーと話していた時はとても楽しく勉強できていたと思う。マンツーマンでしっかり真摯に教えてくれて、ご近所さんやホストのお友達とかと話している時なんかも、本当に楽しかった。

相手の話すペースが自分のペースに合っていた為、自分のペースをきちんと確保出来て、相手が自分を尊重してくれている実感を感じることができて、そのような時は、きっと心が満たされていて、目の前のことに素直に楽しめるし集中できる。

 

しかしながら、そうではない時、つまり、自分のペースが掴めず思うように自分の思いを話せないときは、焦りと自己嫌悪、自己否定で押しつぶされる気持ちになる。ただ単に英語力が不足しているという問題は置いておいたとしても、私の場合は、ある特定の感情を感じたときに自己否定の意識が高まる。

人よりペースが遅いことを指摘され、深い思考のために考えを言葉にするのに時間がかかったりすることに対してイライラされたり、待ってもらえない時だ。その時は、相手やその時の環境全てに途端に苦手意識を持ち、話せなくなるのだ。日本語を話している時でも同様の事があてはまる。

前提として、私は幼少期から姉から「のろい。要領が悪い。」と言われ続け、母から「遅くてもいいんだよ。丁寧さがあなたの良さだよ。」と言われ続けて育った。それが原因で、自分の「遅さ」が一番のコンプレックスと言えるかもしれない。ちなみに、母親からのフォローも私にとっては何の救いにもなっていなかった。寧ろ、「私には丁寧さしか良さがない」と、侮辱を助長されたような気分も感じていた。

 

私は、根っこでは人と関わることは好きである。だから、言語を学ぶことで関わる人が増えることは私にとって喜ばしいことなのかもしれないが、言語を学べば学ぶほど、お互いを主張する状況が増えるし、言葉で表現する状況も増えるから、上記の私の苦手な環境に直面することも多くなってしまう。文化が違うと余計に言葉が重要になるので、もしかすると本当は、言語学習自体、苦手分野なのかもしれない。

って考えると、今の業界にいることが悲しくなってくる…。

皮肉にも大企業に就職したおかげで、経済面というよりむしろ、両親のことを考えるとやめられないジレンマに取り憑かれているのも事実だ。私は幼少期から両親に褒められるために常に頑張っていたというのは、これまでの自己分析で明らかになっている。そして、私の家族は全員、実は学歴(会社名)主義なのだ。

 

話は大学入学時に戻るが、英語ができる同級生に沢山会って、発音もうまい人たくさんいて、なおかつ勉強しなくてもテストもできる要領の良い人がたくさんいて、自分の要領の悪さを再認識して悲しくなって、その壁を乗り越えたくて1年時から英会話スクールに通い始めた。

しばらくして姉は、自分が何度も英語学習に挫折していることを棚に上げ、

「通ってて意味あんの?上達してんの?」と言われた。

大学1年の春休みに親に頼み込んで短期留学して、帰国したら、

「1ヶ月で意味あったの?向こうで何してたの?」と言われた。

正直やはり1か月では話せるようにならないので、長期留学目指してスクール続けて、徐々にTOEICも上がってきた。スクールの月々の費用は自らのバイト代だったのに、

「てかいくらかけてんの?その分スキル上がってんの?」と言われた。

就職前に決心し、親に必死で頭下げて長期留学許してもらって、現地でも侮辱されたこともあったけど頑張って、TOEICでもかなり成果出てきて、希望業界に内定もらったのに、姉からはトイックの点数だけ認められ、諸々起こり帰国したら「大金泥棒!親不孝者!」と言われた。

最初の方に言われたことは普通のことかもしれないけれど、相手に対して何の配慮もなく、畳み掛けるような質問攻めは常に私にとっては不快な圧力であった。

 

最近また、「産休中英語でも勉強したら?出産という大仕事終えたら英語始めたら?」と言われるようになった。腹が立つ。いつも自分を棚に上げて人に指図してくる。しかも子育てをなめている。

自分から素直に、英語をやりたい、と自然に思えた時ほど心地よいものはないし、スムーズに心がそちらへ向かって動くことはない。

私は人の考え方を聞くことは好きであるはずだ。ここまで腹が立つのは、やはり言ってくる人物が原因なんだと思う。その人々のせいで英語を嫌いになるのはなんだか英語に申し訳ない。

私が彼ら(姉のみならず)を嫌な理由は、私のことを尊重して考えて意見を言ってくれている実感が沸かないからだ。彼らは明らかに自分本位な主張をしている。

私は常にそこに縛られているようだ。早くその呪縛から解かれたい…

あぁ、どうしたら解かれるのか。

姉とは少しずつ距離をうまくとれるようになってきていると思うけれど、相手方が幼稚すぎてズケズケ来るから苦しい…本当に、どう相手をしたらいいのか…

本人にはっきり言いたいけれど、言うと面倒なことになるから言えない…。

 

私の人生は常にあの人に振り回され続けてきた。

どうしたら完全に解放されるのか。

 

 私が幼い頃に褒められて好きになった憧れの対象は、何もかも当人によって私を苦しめてきた。

英語に話を戻すと、実際には職場でも使うから、もう当人とは切り離して考えなければならないのに…そう思えばそう思うほど、無理に頑張りすぎてしまいそうだが、過度に頑張ってまた潰れないように、自分をちゃんと守ってあげたい。

姉と英語学習を切り離せるようになるまでは、私は英語学習自体から離れた方がいいのではないか?とさえ頭の片隅では思っている。

 

様々な書物を読んでいると、

姉は恐らく境界性人格障害(パーソナリティ障害)なんじゃないだろうか。

チェックリストは以下のようだ。

・自分が見捨てられることを極端に恐れる

・気に入った人を見つけると過剰に甘えたり相談を求めるが、避けられると態度が豹変し、大声で相手を攻撃したり悪口を言う

・浪費したり、猛スピードで運転するなど、紹介してもらった衝動的に無茶な行為をすることがある

・「自殺する」と相手を脅したり、リストカットや大量服薬を実行することも

・感情が激しく揺れ動きコントロールできない。相手の都合が悪いと分かっていてもらひっきりなしに電話するなど。

・常に虚しさを感じ、「誰も私のことを分かってくれない」と思う

・仕事や恋愛がうまく行かなくなると、突然攻撃的になり、大声で罵倒したり、「あの人は最低」と言いふらしたり。

 

上記に加え、姉は「相手の立場を考えられないことが多い」という面では、多少アスペルガーも併発してるのかもしれない。しかし、職場等ではおそらく外面を良くしているだろうから、違うのかもしれない。あくまで私の見解なので本当のところは分からない。

 

境界性人格障害の原因ははっきりしないが、遺伝や環境と言われている。遺伝的要因は、 元々なりやすい性格傾向をもって産まれてくるということ。環境的要因は、幼少期の家族関係などである。

境界性人格障害の人との関わり方としては、受け入れようとするあまり、振り回されて疲れ切ってしまわないよう、必要以上に本人の要望に応えたりせず、自分に無理のない範囲にとどめておくこともポイント。時には物理的に距離を置くことも良いようだ。

 

様々な精神的な病の原因を調べると、どれも「幼少期の環境」にたどり着く。そこでここからは両親のことについて考えを巡らしてみる。まずは父だ。なかなか問題のある父だと思う。この父こそアスペルガー寄りの疑いがある。

父は、普段はとても穏やかである。何もなければ優しい。料理も作れるようになったし犬の世話も専ら父である。しかしながら、以下の特徴もある。

相手の気持ちを読み取ることができない。空気を読めない。相手から何を思われているか全く気にしない。ずっと研究職で、人間関係で困ったことがないので日常でほぼ悩まない。自分では決断ができない。そのくせ相手が決めないと文句を言う。正論を言われると怒鳴ることしかできない。昔はよく手が出ていた(姉の幼少期は勉強ができないとよく殴られたらしいが、姉が潰れたので私には何もなかった)。昔はペットの犬によく暴力をふるっていた(年を取るとともに全くなくなった)。勉強がかなりできるのでできない人は理解できない。歴史が大好き。酒癖が悪い。子供が病気でも関心がない。口うるさくないが実は学歴主義で、良い成果がでれば褒めるが基本的には褒めない。良い意味でも悪い意味でも裏表が全くない。

 

次に母について考えてみる。

いつも明るく笑顔。人の悪口も言わず、裏表がなく人から好かれるタイプ。父の手助けはゼロに近かっただろうが、ずっと仕事と子育てを両立していたのは尊敬に値する。完璧主義ではないので家事は雑だが、要領良くこなしていたタイプ。

しかしながら、物事の考え方が浅く、かなりの心配性から口うるさい。変なネットの情報に影響を受けやすく感情的。そして子供をやたらフォローし褒める傾向にあるので、胡散臭いというか、逆に信用ならない。母も勉強ができたので、なんだかんだ学歴主義かと思う。頼れる母というより、友達親子のような関係だ。

 

こんな両親のもとで姉と私は育ってきた。

姉は幼少期から文武両道何でもできて相当目立っていたので、両親からの期待は相当なものであったと想像する。潰れて非行に走ってしまったのも仕方がない。姉は学歴や容姿などコンプレックスの塊で自己肯定感がかなり低い。姉が今、境界性人格障害のような症状が出ているのも、幼少期の両親との関係が原因で周囲の顔色を常に伺ってしまうからだと思う。だからこそ昔から、妹である私が純粋無垢であるのを良いことに、「あなたはこうだからこうなんだ。こうした方が良い。」と私を支配して、良いように操ってしまっていたのだと思う。姉自身がそれに気が付いているのかというと、おそらく気が付いていないだろう。

そのようにして色々考えると姉には同情する部分もある。姉が潰れたおかげで私はそこまで暴力的なプレッシャーを与えられなかったから。しかしながら、私は逆に両親の気を引くために陰で頑張り続けて、辛くても一人で抱えてしまう性格になてしまったのだと思う。そして、昔からの姉からの呪文のような操り言葉(呪縛)に未だに悩まされてしまっているのだ。人から何10年も侮辱され続ける(言ってる本人は侮辱のつもりはない)ことほど苦しいことはない。

 

だれしも幼少期の環境は、人格形成において非常に大きな影響を与えるようだ。父だって母だって、きっと、祖父母の影響が大きいのだと思う。

今回私の実家族の各々について、ある程度の距離をとって考えてみると、私がこれまで悩んできた家族との関係性について、多少冷静に考えられるようになってきたと思う。

 私はこのまま実家族からの呪縛に取りつかれているわけにはいかない。私はもう25だし、結婚していよいよ親になろうとしている。元の家族とは違う家庭を持っているのだ。父、母、姉が誰ひとり、私がここまで苦しんできたことに気づいてなかったとしても(気付いているわけがない…泣)、私は私でこの壁を乗り越えられれば良いなと思う。よく言われるけど、相手のことはもう変えられないから、諦めて自分を変えるしかないのだ。長い時間を要するだろうけど、自分で自分のカウンセリングは続けていければと思う。