理想の子育て/経験や人間関係から心の病について考えたこと

今日は長々と書きたいことを書く日。

 

最近は産前休でやることリストも一通り終え暇なので、読書ばかりしている。専ら読むのは「子育て」関連、「心の病」関連のどちらかだ。勉強になる本もあるし、微妙な本もある。読書は面白い。

子育てに関しては、やはり「自己肯定感」をつけることが一番だと捉えている。子供に自己肯定感を持たせるには、まず第一にたくさん愛すること。「愛情の与え方」というと、過保護になったり…だとか、またややこしい問題にもなってくるけれど、基本的にはたくさん抱きしめて、無条件の愛情を注ぐ。子供が産まれてもきっと私達なら大丈夫だと、根拠はないが、自分達の育児に関してはそこまでの心配はしていない。パートナーとの信頼関係があれば、何でも乗り越えられる!

 

「心の病」関連というのは、うつを始めとする病気についてや、精神療法についての本を読んでいる。私は、うつの一種であるという適応障害(本当に自分がこれだったのかはよく分からない)を経験して、今も完治に至っていない自覚があるので、うつ全般について学んだり、認知行動療法などについても学んでいる。

基本的な内容でも漫画であったり分かりやすくまとまっていれば楽しく読める。

でも時々、薄っぺらすぎてなんだかなーという時や、やたら難しい言葉でよく分からないときもある。良い本に巡り合った時は気分が晴れ晴れとする。カウンセラーさんと出会う時も、自分に合う人と合わない人がいるので、合わなければ他の人にしてみよう、くらいの気持ちでいれば良いと思う。(私は7人の専門家と関わったが合ったと感じたのは2人だった。)

 

自分としては、2度病気を経験したと思っている。そして今も継続治療中だ。

一度目は大学4年生のとき。二度目は社会人一年目のとき。

一度目は、自分のしたことで家族と親友たちに見捨てられ縁を切りたいと言われ、自暴自棄になって異性を求め続けた。結果、完全に都合の良い時に現れてくれる女で、心は抜け殻状態になってしまった。良いカウンセラーさんと巡り合ったおかげで多少持ち直し入社式を迎えたが、それでもしばらくはその異性関係は変わらなかった。その時その瞬間を支えてもらったことは感謝しているが、本当に私を大切に思ってくれる人はいなかったのかもしれないなーと思うと、昔の自分が哀れだ。みんな自分が一番大事だから仕方ないかもね。

そうこうしていると二度目の病気。今度は職場の人間関係にやられた。一度目の発症初期に死ぬ気で就活をして、皮肉にも超大企業に決まり、それも超忙しい部署に配属されたおかげで、期待に応えたいと死にもの狂いで働いた。事務なのに終電まで働くことに使命感達成感を感じるようになってしまっていた時点で、もう私の頭は忙殺されていたのだと思う。部署の人々は皆異常に忙しく、常にピリピリした空気で様々なことを言われ、元々キツイ言葉に打たれ弱かった私は次第に体がもたなくなり、心も持たなくなった。その頃にはもう心身の疲労で気付いたらホームから転落するか、自宅で包丁を持っていそうな程だった。

 

私の人生は、自分で言うのもおかしいかもしれないが、なかなか壮絶だと思う。様々な報道や事件と比べると、そんなことは決してないかもしれないが、きっと私と普段関わっている人たちは、こんなのんびり見える私がそんな人生を歩んできたとは思わないと思う。

当時は、「いつかきっと良くなるよ」みたいな言葉は全く受け付けなくて、「バカかこいつは」と内心思っていたけれど、今は、「とりあえず死にたくても生きていた方が良いよ」と言いたくなる気持ちがすごく分かる。「騙されたと思って~した方が良い」って言うのは、まさにこういう時にいうのかもしれない。いつになるか分からないけど、何でもいつか良い方向にきっと進むと思う。まぁその時は本当につらいんだけど。味方が一人でもいるならきっと大丈夫。味方がいなくても、何か行動すれば現れると思う。

 

今でもふとした一言をきっかけにフラッシュバックしてくるときがある。今回妊娠をして、上司にマタハラを受けたときには久々にまいった。やはりうつは再発しやすいんだなー。

ちょうどタイミングよく産休に入ったが、復職時には、絶対に同じところには戻りたくないし、絶対に戻らないように上手くやってやるという思いもある。

やっぱり、精神的に体調を崩したことがない人は、こういった病気に対する理解には乏しいと思う。それは仕方のないこと。だって経験してないからわかるわけがない。でも理解しようと話を聞くことはできる。一番重要なのは、話を聞こうとする姿勢があるかどうか。これがない人が周囲にいるともう最悪な地獄と言えるかもしれない。

とにかくこの場合は、そういう人とはなるべく関わらないことが一番。余計な一言を言われて傷つくのはまっぴらごめん。

私が最も嫌い・苦手な人物は、「人を否定する人。決めつける人。」だ。

本当にその人が何歳だとしても、相手がそのようなタイプだったとわかれば、もう関わりたくない。こういう人は案外近くにいて、家族にもいるし、友人にもいるし、同僚にもいたし、先輩にも上司にもいたし…。次第に付き合う人々が変化していくのは、自然なことであり、そこに寂しさを多少覚えるが、別に気にする必要もない。大切にしたい人を大切にすれば良い。(私はいまだに、当時私を見捨てた人々を許していない=その時から良い距離を保つよう心掛けている。全信頼はもう置いていない。)

上記のような人々は、人の話を本気で聞く気がない。というと語弊があるかもしれない。本人からしたら、もしかしたら本気で相手のために考えているつもりなのかもしれない。「あなたのためなのよ」と言われることは、こちらからしたら自分の考えを押し付けられていると感じる。「あなたはそんなふうだからいけない」「こうすべきだ」「あなたは私を裏切った」などと言ってくる。そして、こういう人に限って、病気だと告白すると、「私の家族にも同じ病気の人がいるけど…」と言って、的が外れたアドバイスをしたり、自分の知り合いの病人と比べて「あなたは全然ましな方だ」とか言ってくる。その人は本当にその病気の家族の支えになってあげれてるのか。自意識過剰な気がしてならない。人は似た経験をしていても、各々の考えや感じ方は絶対違うんだよ。目の前の相手をちゃんと見たらどうですか。

と同時に私自身も、自分が経験者だからと言って、安易な発言はできないなと改めて気を引き締めたい。

 

なんだろうな…うまい表現が見つからない。

私が本当に苦手な人は、【浅い考え方で物事や人の中身を判断する人/発言がキツくて思い込み決めつけ型の人】と言った方が適当かもしれない。上から目線で言っているわけではないけれど、ただ、私とタイプが違うから、こういう人と関わるとお互いイライラしやすいのかもしれない。そしてそのイライラを私は相手にぶつけないから、一方的に私が傷ついてしまう。

相手の立場で物事を考えることは、理想だけれども突き詰めると非常に難しいこと。「互いを干渉せずに、互いの存在や考えを尊重し合うこと」は、本当に難しいんだなと思う。けれど、それが難しいことだと理解して、その上で相手の本当の気持ちを理解したいという気持ちがあるかどうかがきっと重要なのだと思う。

 

そんな経験から、私が生きていくうえで一番心掛けたい目標(そんな大きく言えないかもしれないが)は、「相手の本当の心を聞いて、少しでも何か、支えられるようになること」。私はやはり、人の心の支えになりたい。近くで寄り添って、背中をほんの少しでも前に押せるような、そんな人になれたらな、と思う。

 

これは私自身、自己肯定感が低いからこそなのかもしれない。病気になってから3年強カウンセリングを続けているが、私は育った環境から、自己肯定感が低い。人の役に立つことで、人を支えている実感を持ち他人に認められることでしか、自分を認めてあげられないのかもしれない。たとえそうだとしても、今の私が望むことがそれなので、それでいいんだと思う。今は自己肯定感を高めるためのカウンセリングを受けている。

今の私にとって、一番大切なものは家族です。自分が育ったところではなくて、今の家族。主人ともうすぐ産まれてくる息子です。なので、一番この2人を支えたい。

一番大切な人と幸せな毎日を過ごすために、自分のすべてを捧げたい。

 

うつ等の精神的な病については、理解がないことが多々ある。と言われている。妊婦やワーキングママに対するそれと同じで、職場や部署にもよるのだろうが、この辺りはもう運に任せるしかない。私は自分が病気だということをあまり隠していないけれど、隠したくなる気持ちも仕方がないと思う。偏見を持っている人も多いから。(そもそも「病気」という言葉で括るのも難しい。「病気(うつ)」と言われるから表だって言えない気持ちが出てきてしまうのだから…。まあ括らなければ色々厄介だから仕方がないのだけれど。)偏見を持つ人は、その人自体に問題アリな人が多いんではないかと思う。(問題アリにも色々いるから注意したい)そういう人とはあまり関わりたくないものである。何度となくそういう厄介な人にやられて傷ついて、今やこっちが厄介者というレッテルを張られているかもしれないが、そんな苦しい毎日にも味方になってくれる人はきっといるので、信頼できる人に頼りながら、嫌な奴はほかっといて、適当にうまくやっていければと思う。腹立たしいことはすぐに忘れて、大切な人たちとの毎日に幸せを感じていければ、自分の人生は最高だ!

 

あと、「真面目な人がうつになる」という括り方もあまり気に食わない。真面目であることも、うつになることもマイナスに表現されている。うつになる人は、周囲のことを気にかけすぎるんだと思う。自己評価が低いから、周囲の評価に振り回されやすいんだと思う。人に優しすぎる人とか。だから、うつになる人は別に弱い人間じゃないんだよなぁ…。むしろ周囲を考えられる強さを持っている人もいる。極端かもしれないけれど、うつになることがプラスイメージになるくらいに天地がひっくり返ればいいのにな。

 

 さ、そろそろ夕飯の支度!