これまでの治療/4つの病名について

丸岡さんの著書を読んだ。

とても読みやすかった。

彼女のうつの治療のポイントとして、

・うつを受け入れる

・薬をきちんと飲む

・自然と触れる

・周囲の理解とサポート

などが書かれていたけれど、

私の場合は、「うつ」は最初から受け入れていたし、病気に対して恥の気持ちは全くなかった。そのため薬も医者に言われる通りしっかり服用していた。効果を実感したことは結局なかったが。周囲の理解とサポートはほぼなかった。唯一カウンセラーさんだけだ。身近な人からのサポートはなかった。詳しくは下記に述べる。

 

①病名宣告について

きちんと病名を聞いたことはない。「うつ状態」ですね、と最初の医者に言われただけだった。

うつの人にはショックを受けないように明確に言わないのかもしれないが、私はずっと病名を聞きたかった。働き始めて再発して、学生時代のカウンセラーさんの元を再度訪れた時、信用できたからこそ病名を聞いてみた。そこで「適応障害であったと思います。」と言われた。合っていたかは分からないが、言ってくれて嬉しかった。

しかしながら病名宣告については考えることがあるため、詳しくは⑤に記す。

 

②「うつ状態」との宣告時の気持ち

最初の医者での初診でさらっと言われた。言われた時は、うつ「状態」ってなんだ?と思ったけれど、とりあえずホットした。あーこれで専門家が私の不調を認めてくれた。私はやっぱり頑張りすぎていたんだ。バイトの無断欠勤も、授業に出れないのも、ちゃんと起きれないのも生活習慣が悪くなっているのも、仕方ないことなんだ。私は悪くないんだ。

私は自分が今までに起こさなかったような、周囲に対しての真摯でない態度に自己嫌悪、自己否定をしていたのだ。

 

③薬について

一般的な薬は一通り処方されたように思う。

抗鬱薬抗不安薬睡眠薬…全て飲んでいた。

劇的な効果が見えなかったので、何度も種類を変えて服用された。けれども最終的には、薬が効いた、と実感出来たことは1度もなかった。

薬の効果は本当に人それぞれなんだと思う。私の場合、病気の原因が、人の死などの大きな出来事であったり、過度な身体的負担…などではなく、家族や周囲との人間関係がメインであったので、薬を飲んだとしても人間関係が解決に至らない限り、何の解決にも至らないのだと思う。

現に、もうかれこれ薬は2年服用していないが、まだ病気は完治していない。寛解状態だ…と自分では思っている。「寛解」とは、再発の可能性はなくはないが、症状が治まっている状態のこと。因みに一般的なうつの治療では、通常、「休養を十分とり、無理しすぎず、きちんと抗うつ剤を服用することが大切。再発の恐れがあるので、症状が軽減しても、継続服用が必要」というアドバイスを受ける。これは完治を目指すのではなく、寛解を目指した治療である。しかしながらこれでは、再発という爆弾を抱えて、消極的な人生を送ることになる…とある本は語る。完治したと言えるのは、うつ病の根本を成す病前性格の部分に変化が起こり、完全に治癒した状態。その深さまで治療のアプローチができて、再発の心配がなくなるのだそうだ。

 

④周囲のサポート(これまでのカウンセリングの詳細)

私の場合の周囲のサポートは、大学に来ていた非常勤カウンセラーさんだけだったと思う。率直な思いを全て相談できる人は彼女だけだった。家族は根本原因なので論外…満を持して少し症状が安定した卒業前にうつのことを話したが、予想通り、頼りになるどころか、やはり頼りにならないのだな、と思い知った。

初めて関わったカウンセラーさんがこの人だったことは恵まれていたと思う。専門知識が豊富だとか、経験を積んでいるとか…きっとそういうすごいレベルの人ではないのだけど、ただただ相性が良かった。その人なら全部話せたのだ。そのような人は当時周囲にいなかったので、大変救われた。その人のお陰で私は入社日に向けて、多少は回復に向かうことができた。

しかし残念ながら、スクールカウンセラーであるので卒業したらそれで終わり、無料で通うことはできない。その人が大学の外でやっている所を紹介してもらった。新入社員にはなかなか厳しい金額であったので、とりあえず入社して様子を見ながら、もしまた何かあればいつでもどうぞ。ということに。「でも、本当ならこれでお会いしなくなり、私のことを忘れてしまうようになることが、1番良い回復している状態なのですよ。無理せずに頑張って下さいね。」と最後に言ってくれた。すごく背中を押された気分だった。私は頑張りたい、と思った。

 

その後、入社して2年目に入った頃、私はその人の元を再び訪れることとなる。再発したからだ。残念ながら激務と職場の人間関係により、入社3ヶ月ほどで産業医にかかることとなり、内部や外部のカウンセリングを受けたがなかなか合う人に巡り会えず、私はどうにかしたくて大学時代にお世話になっていた彼女の元を訪れた。当時頂いた支援団体の案内用紙は、もしもの時のお守りとして捨てられずにいたのだ。(訪れたときはすでに潰れて異動が決まった後だが…)

久々にお会いしたカウンセラーさんは以前と同じで話しやすかった。私は苗字が変わっていたので、ご挨拶と結婚の報告、そして入社してからの状況と、何故再びお会いしたのかの理由を告げた。90分のカウンセリングはあっという間に終わった。少し不便な場所にあり、金額も高かったが、いってらっしゃい、と快く送り出してくれた主人には感謝だ。

訪れた時期は2年目の5月。私の異動が決定した直後だ。私が話したのは、入社後は本当に仕事が楽しく必死で学びたいと頑張っていたこと。異性関係はしばらく変わらなかったが、会社では、期待もしてもらって自分でもたくさん勉強したこと。次第に指導者や同僚と合わなくなっていたこと。涙がとまらなくなったこと。それでも激務に耐えたこと。異性関係を自分でやめようと決心したこと。ある日会社に行けなくなったこと。異動希望を出したこと。そして、無事に異動させてもらえることになったこと。

一通り話して、上記したように、私の病名は一体なんだったのかと聞いた。「適応障害」………

「本当に頑張りすぎちゃったんですね。でも、異性関係もよくご自身でやめようと決心しましたね。そして、異動希望もよく勇気出して希望出しましたね。会社も対応してくれて、異動出来ることになり、本当に良かったと思います。きっと今より業務負担が軽くなって、少しは気持ちが休まると思いますよ。また異動してみて様子みてみて、何かあればまたいつでもお話しにいらしてくださいね。」と言ってくださった。すっきりした気持ちで、主人のいる家に帰宅した。

 

それ以来そのカウンセラーさんの元は訪れていない。異動後もそれなりにストレスは色々あったのだが、ありがたいことに家庭という居場所があったからか、カウンセリングを再び受けたい、とまではいかなかった。産業医への通院のみ継続していた。業務中に離席でき、多少は気分転換にもなったからだ。やはり、部署異動前後で席の移動がほぼなかったので、背後から聞こえる声は常にストレスであったことは確かだ。離席の度に誰かとすれ違わないか…とひやひやしていたくらいには、病状は治っていなかったのだ。

 

産業医は神経科医だった。私の入社1年目と2年目でちょうど産業医の人事異動があり、担当医が変わった。1人目の人は産業医経験が長く慣れていたのか会社の文化等にも精通していて、2人目よりは話しやすく、長時間診療時間もとってくれ、留学時のことも色々話した。でも多少決めつけ型で、良く言うと、診察中は話をリードしてもらえた。2人目の先生は1人目と真逆なタイプで、初めて産業医になる人であった。物腰柔らかく話しやすいかなーと思いきや、回数を重ねるほど、話しにくさが際立った。なにせ、ちゃんと5分10分で話をまとめて終わらせる。こちらが話したいことが全く話せなかった。毎回「様子を見ましょう」という感じで消化不良だった。1人目の人との引継ぎもちゃんと行われていない気がした。次第に私は診療所を予約した時間は、「罪悪感なく離席して休憩ができる時間」として割り切ることにした。産業医なので診療費は安いと言えども無料ではないし、主人や周囲に罪悪感も多少あったが、どうせ業務中もやることないし、いてもいなくても変わらないだろう…という自嘲気味な気持ちもあったかもしれない。気晴らしの1時間はとても有意義だったし、私の気持ちを楽にしてくれた。

上記のような感じで2人目の担当医とは相性が全く合わなかった。時々試しに悩み相談をしても、「それは客観的に見たら仕方ないことだと思いますよ、どのようになればよかったんですか」と、神経科医の言葉として耳を疑うようなことも言われ、不信感は募った。私は産休に入ると同時に、もう産業医は辞めることを決意した。

 

実は産休に入る直前に、新しく気の合うカウンセラーさんを見つけていたのだ。

産業医と合わない日々が続いた入社2年目の冬、無料の外部カウンセリングに訪れてみた。その人は大学院等で専門的な勉強をしてきた人ではなく、社会人経験があって資格を取って今の仕事に就いた人だった。なので、もうかれこれ数年病気を抱え、様々な関連書物を読んだり、元々深い思考型の私には、「教科書的なアドバイスだなー」と思う時も多々あったのが正直なところだ。しかしながら話し相手としては、良い気分転換にはなったと思う。この人でなく、次に述べる人が久々に気の合ったカウンセラーさんである。

しばらく間は空き、産休まであと数か月となる3年目の春、休暇前に再度自分と向き合いたいと思い、今度は専門的な勉強をしている人を選んでカウンセリングを訪れた。それが今の人だ。この人が久々に相性が良いと感じた人である。話しやすい感覚がある。それで改めて、産業医はもうきっぱりやめることを決心したのだ。

私のカウンセリング歴はこんなところである。 

 

⑤病名診断について

病名を適切に判断することは難しいと思う。だいたい、自分の症状を的確に医者に説明することがまず難しい。医者との信頼関係がなければ、医者にまで気をつかって本音で語れなくなる。病院選びも所詮、人間同士の出会いなので、ある意味運によるのかもしれない。例え医者と合わないなと感じていても、鬱病によりエネルギー皆無の時に、転院を考えて行動に移すことは、本人に頼る人がいない場合、非常に難しいことでもある。

そんなこんなで下される病名。不十分な症状の情報から適切に判断されずに下されたり、宣告することで本人の心的負担を増やさないために、わざと曖昧にされたりもするのだ。

今、比較的自分について客観的に考えられるようになり、様々な書物を読んで自分なりに考えた、自分を表す病名を3つに絞る。

①「社会不安障害」②「回避性パーソナリティ障害」③「鬱病」④HSP

 

①元々、社会不安障害気味なところがあり、人前で話したり、字を書いたり、電話したりすることは小学校の頃から苦手である。人から注目を浴びることは、例え褒める対象としてだとしても反応に困って苦手である。舞台で喋る時は声が震えていると言われたこともしばしば。何かとリーダーに選ばれてきたが、嫌すぎて人前で泣いて辞退したこともある。(結局翌年に再度選ばれ、覚悟を決めてやった)何度も経験することで多少は慣れてきているのかもしれないが、未だに電話など日常のことでも好きではなく、失敗して恥をかくことが不安である。

 

②他人の拒絶に対する過度の恐れ、引っ込み思案、劣等感を特徴とする「回避性人格障害(パーソナリティ障害)」は、社会不安障害の重症型とも考えられているようだ。

「社交不安障害」も「回避性人格障害」も原因ははっきりせず、遺伝や環境と言われている。遺伝的要因は、 元々なりやすい性格傾向をもって産まれてくること。環境的要因は、幼少期の家族関係などである。やはり私の場合は幼少期の環境や経験が大きそうだ。

以下は「回避性パーソナリティ障害」について、ある本を参照している。

回避性パーソナリティ障害の人は、家族からあら捜しをされたり、からかいを受けたりして、つねに否定的な評価を受けてきたようだ。本当は他者に受け入れられ愛されることを望んでいるが、否定的な評価や拒否を避けるという恐れのために、臆病にならざるを得ない。ただ、家族としては、積極的に甘えたり気持ちを言ってこないから、このタイプの人の気持ちに気づきにくい。このタイプの人は、ストレス耐性が低い。傷付くことに耐えられないため、心理的な負荷から逃れようとする。そんな思いをするなら最初から関わらない方がましだとなり、物事や人間関係から回避的になる。

回避という反応が起きるのは、否定的評価が、心的外傷(=自信喪失)と結びつくことを学習した結果である。心的外傷は無気力とともに過敏な状態を生み、ストレス耐性の低下をももたらす。

家族が「安全基地」としてうまく機能してこなかった影響は大きい。家族との関係は、本人が期待に応えようと努力し続けていた限りは上辺の平穏を保っていたが、躓いたことで一気にすれ違いが露呈した。表面の問題解決よりも、家族が本人目線で事態を見て、「安全基地」としての機能を取り戻せば事態の解決に繋がることが多い。しかしながら私の場合は、家族でなくカウンセラーという安全基地は存在したが、家族は私の不調に全く気付きもしなかったため、「家族=安全基地」となるのは夢のまた夢であった。

「安全基地機能にない家族」というのは、自分の感情を周囲にそのままぶつけることで自分自身を守っているような、未熟なパーソナリティの持ち主だ。私の場合、家族の感情のはけ口が私となってしまっていた。そのせいで私は、自分の気持ちを表現することを極力抑えることが習慣になった。

 

③そして「適応障害」と言われたのは、大学4年次に姉(おそらく境界性人格障害)から受けたストレスにうまく適応できずに体調不良を起こしていたが、そこでさらに無理に自立に向けて過度なアルバイトをして心身的負担を自ら増やしたからだと思われる。

そうして自分を大切にできなくなりどうにでもなれと異性関係に救いを求めたりして、さらに体調不良に。日常生活にも支障が出た。単なる適応障害であればストレス原因が明確なため、そのストレスを取り除けば体調は回復するが、私の場合、家族という離れられない関係であり、姉からの過剰妄想的な暴言から逃れられない状況であったので「鬱病」に移行してしまった。

その後、休養とカウンセリングのもとで一時寛解(症状が安定している状態)に向かっていたが、入社して指導者を始めとする職場の人間関係に振り回されるようになる。残業ばかりの激務も重なり心身疲労が蓄積。鬱病が再発した。

 

HSPとは、過敏性症候群のこと。元々神経が過敏で感受性が過剰に豊かである人々。以下のような特徴あり。

・人の言動に左右されやすい

・ミスへの恐怖が人一倍ある

・人混みで疲れやすい

・大人数の会議などで気後れして話せない

日本ではあまり知られていないが、海外では有名なHSP。生きづらさの原因がここにあることもあると、書物に書いてあった。自分にあてはまると思う。

 

現在は、異動による身体的負担の軽減、人間関係の負担軽減により、「一応寛解しているが、時々周囲からのキツイ言動などの人間関係のストレスから軽度の鬱症状が再発する」といった状況かと感じている。

解決法としては、カウンセラーによる認知行動療法を行っている。認知のクセを改善し、自己肯定感を高めてストレス耐性を高めることが目標だ。

 

姉、父、母について

自分が今抱えているストレス(悩み)に対して、ある程度の距離を置いて考えてみたいと思う。最近読んだ本にも、悩みとの関わり方の一つの手段としてこの方法が書かれていた。

今の最大の悩みは「育ってきた家族との関わり方」についてだ。

姉と私の関係性を、これまでの「英語学習」に焦点を当てて見ていきたい。

 

私は昔から英語にコンプレックスがあった。

いや、それは嘘だ。

高校まではそんなことはなかった。寧ろ得意分野で大好きだった。テストもよくできたし、発音も褒められ流暢だとよく言われたし、英検も早いうちにとれたし。やはり得意だと好きになる。好きだと得意になる。海外への憧れも多分姉の影響だけどあったから、だからこそ将来は留学行きたい、とか、英語使って働きたいって思った。あの思いは純粋無垢な気持ちだったと思う。

 

話は飛ぶが、念願叶った学生時代の休学留学中、ホストマザーと話していた時はとても楽しく勉強できていたと思う。マンツーマンでしっかり真摯に教えてくれて、ご近所さんやホストのお友達とかと話している時なんかも、本当に楽しかった。

相手の話すペースが自分のペースに合っていた為、自分のペースをきちんと確保出来て、相手が自分を尊重してくれている実感を感じることができて、そのような時は、きっと心が満たされていて、目の前のことに素直に楽しめるし集中できる。

 

しかしながら、そうではない時、つまり、自分のペースが掴めず思うように自分の思いを話せないときは、焦りと自己嫌悪、自己否定で押しつぶされる気持ちになる。ただ単に英語力が不足しているという問題は置いておいたとしても、私の場合は、ある特定の感情を感じたときに自己否定の意識が高まる。

人よりペースが遅いことを指摘され、深い思考のために考えを言葉にするのに時間がかかったりすることに対してイライラされたり、待ってもらえない時だ。その時は、相手やその時の環境全てに途端に苦手意識を持ち、話せなくなるのだ。日本語を話している時でも同様の事があてはまる。

前提として、私は幼少期から姉から「のろい。要領が悪い。」と言われ続け、母から「遅くてもいいんだよ。丁寧さがあなたの良さだよ。」と言われ続けて育った。それが原因で、自分の「遅さ」が一番のコンプレックスと言えるかもしれない。ちなみに、母親からのフォローも私にとっては何の救いにもなっていなかった。寧ろ、「私には丁寧さしか良さがない」と、侮辱を助長されたような気分も感じていた。

 

私は、根っこでは人と関わることは好きである。だから、言語を学ぶことで関わる人が増えることは私にとって喜ばしいことなのかもしれないが、言語を学べば学ぶほど、お互いを主張する状況が増えるし、言葉で表現する状況も増えるから、上記の私の苦手な環境に直面することも多くなってしまう。文化が違うと余計に言葉が重要になるので、もしかすると本当は、言語学習自体、苦手分野なのかもしれない。

って考えると、今の業界にいることが悲しくなってくる…。

皮肉にも大企業に就職したおかげで、経済面というよりむしろ、両親のことを考えるとやめられないジレンマに取り憑かれているのも事実だ。私は幼少期から両親に褒められるために常に頑張っていたというのは、これまでの自己分析で明らかになっている。そして、私の家族は全員、実は学歴(会社名)主義なのだ。

 

話は大学入学時に戻るが、英語ができる同級生に沢山会って、発音もうまい人たくさんいて、なおかつ勉強しなくてもテストもできる要領の良い人がたくさんいて、自分の要領の悪さを再認識して悲しくなって、その壁を乗り越えたくて1年時から英会話スクールに通い始めた。

しばらくして姉は、自分が何度も英語学習に挫折していることを棚に上げ、

「通ってて意味あんの?上達してんの?」と言われた。

大学1年の春休みに親に頼み込んで短期留学して、帰国したら、

「1ヶ月で意味あったの?向こうで何してたの?」と言われた。

正直やはり1か月では話せるようにならないので、長期留学目指してスクール続けて、徐々にTOEICも上がってきた。スクールの月々の費用は自らのバイト代だったのに、

「てかいくらかけてんの?その分スキル上がってんの?」と言われた。

就職前に決心し、親に必死で頭下げて長期留学許してもらって、現地でも侮辱されたこともあったけど頑張って、TOEICでもかなり成果出てきて、希望業界に内定もらったのに、姉からはトイックの点数だけ認められ、諸々起こり帰国したら「大金泥棒!親不孝者!」と言われた。

最初の方に言われたことは普通のことかもしれないけれど、相手に対して何の配慮もなく、畳み掛けるような質問攻めは常に私にとっては不快な圧力であった。

 

最近また、「産休中英語でも勉強したら?出産という大仕事終えたら英語始めたら?」と言われるようになった。腹が立つ。いつも自分を棚に上げて人に指図してくる。しかも子育てをなめている。

自分から素直に、英語をやりたい、と自然に思えた時ほど心地よいものはないし、スムーズに心がそちらへ向かって動くことはない。

私は人の考え方を聞くことは好きであるはずだ。ここまで腹が立つのは、やはり言ってくる人物が原因なんだと思う。その人々のせいで英語を嫌いになるのはなんだか英語に申し訳ない。

私が彼ら(姉のみならず)を嫌な理由は、私のことを尊重して考えて意見を言ってくれている実感が沸かないからだ。彼らは明らかに自分本位な主張をしている。

私は常にそこに縛られているようだ。早くその呪縛から解かれたい…

あぁ、どうしたら解かれるのか。

姉とは少しずつ距離をうまくとれるようになってきていると思うけれど、相手方が幼稚すぎてズケズケ来るから苦しい…本当に、どう相手をしたらいいのか…

本人にはっきり言いたいけれど、言うと面倒なことになるから言えない…。

 

私の人生は常にあの人に振り回され続けてきた。

どうしたら完全に解放されるのか。

 

 私が幼い頃に褒められて好きになった憧れの対象は、何もかも当人によって私を苦しめてきた。

英語に話を戻すと、実際には職場でも使うから、もう当人とは切り離して考えなければならないのに…そう思えばそう思うほど、無理に頑張りすぎてしまいそうだが、過度に頑張ってまた潰れないように、自分をちゃんと守ってあげたい。

姉と英語学習を切り離せるようになるまでは、私は英語学習自体から離れた方がいいのではないか?とさえ頭の片隅では思っている。

 

様々な書物を読んでいると、

姉は恐らく境界性人格障害(パーソナリティ障害)なんじゃないだろうか。

チェックリストは以下のようだ。

・自分が見捨てられることを極端に恐れる

・気に入った人を見つけると過剰に甘えたり相談を求めるが、避けられると態度が豹変し、大声で相手を攻撃したり悪口を言う

・浪費したり、猛スピードで運転するなど、紹介してもらった衝動的に無茶な行為をすることがある

・「自殺する」と相手を脅したり、リストカットや大量服薬を実行することも

・感情が激しく揺れ動きコントロールできない。相手の都合が悪いと分かっていてもらひっきりなしに電話するなど。

・常に虚しさを感じ、「誰も私のことを分かってくれない」と思う

・仕事や恋愛がうまく行かなくなると、突然攻撃的になり、大声で罵倒したり、「あの人は最低」と言いふらしたり。

 

上記に加え、姉は「相手の立場を考えられないことが多い」という面では、多少アスペルガーも併発してるのかもしれない。しかし、職場等ではおそらく外面を良くしているだろうから、違うのかもしれない。あくまで私の見解なので本当のところは分からない。

 

境界性人格障害の原因ははっきりしないが、遺伝や環境と言われている。遺伝的要因は、 元々なりやすい性格傾向をもって産まれてくるということ。環境的要因は、幼少期の家族関係などである。

境界性人格障害の人との関わり方としては、受け入れようとするあまり、振り回されて疲れ切ってしまわないよう、必要以上に本人の要望に応えたりせず、自分に無理のない範囲にとどめておくこともポイント。時には物理的に距離を置くことも良いようだ。

 

様々な精神的な病の原因を調べると、どれも「幼少期の環境」にたどり着く。そこでここからは両親のことについて考えを巡らしてみる。まずは父だ。なかなか問題のある父だと思う。この父こそアスペルガー寄りの疑いがある。

父は、普段はとても穏やかである。何もなければ優しい。料理も作れるようになったし犬の世話も専ら父である。しかしながら、以下の特徴もある。

相手の気持ちを読み取ることができない。空気を読めない。相手から何を思われているか全く気にしない。ずっと研究職で、人間関係で困ったことがないので日常でほぼ悩まない。自分では決断ができない。そのくせ相手が決めないと文句を言う。正論を言われると怒鳴ることしかできない。昔はよく手が出ていた(姉の幼少期は勉強ができないとよく殴られたらしいが、姉が潰れたので私には何もなかった)。昔はペットの犬によく暴力をふるっていた(年を取るとともに全くなくなった)。勉強がかなりできるのでできない人は理解できない。歴史が大好き。酒癖が悪い。子供が病気でも関心がない。口うるさくないが実は学歴主義で、良い成果がでれば褒めるが基本的には褒めない。良い意味でも悪い意味でも裏表が全くない。

 

次に母について考えてみる。

いつも明るく笑顔。人の悪口も言わず、裏表がなく人から好かれるタイプ。父の手助けはゼロに近かっただろうが、ずっと仕事と子育てを両立していたのは尊敬に値する。完璧主義ではないので家事は雑だが、要領良くこなしていたタイプ。

しかしながら、物事の考え方が浅く、かなりの心配性から口うるさい。変なネットの情報に影響を受けやすく感情的。そして子供をやたらフォローし褒める傾向にあるので、胡散臭いというか、逆に信用ならない。母も勉強ができたので、なんだかんだ学歴主義かと思う。頼れる母というより、友達親子のような関係だ。

 

こんな両親のもとで姉と私は育ってきた。

姉は幼少期から文武両道何でもできて相当目立っていたので、両親からの期待は相当なものであったと想像する。潰れて非行に走ってしまったのも仕方がない。姉は学歴や容姿などコンプレックスの塊で自己肯定感がかなり低い。姉が今、境界性人格障害のような症状が出ているのも、幼少期の両親との関係が原因で周囲の顔色を常に伺ってしまうからだと思う。だからこそ昔から、妹である私が純粋無垢であるのを良いことに、「あなたはこうだからこうなんだ。こうした方が良い。」と私を支配して、良いように操ってしまっていたのだと思う。姉自身がそれに気が付いているのかというと、おそらく気が付いていないだろう。

そのようにして色々考えると姉には同情する部分もある。姉が潰れたおかげで私はそこまで暴力的なプレッシャーを与えられなかったから。しかしながら、私は逆に両親の気を引くために陰で頑張り続けて、辛くても一人で抱えてしまう性格になてしまったのだと思う。そして、昔からの姉からの呪文のような操り言葉(呪縛)に未だに悩まされてしまっているのだ。人から何10年も侮辱され続ける(言ってる本人は侮辱のつもりはない)ことほど苦しいことはない。

 

だれしも幼少期の環境は、人格形成において非常に大きな影響を与えるようだ。父だって母だって、きっと、祖父母の影響が大きいのだと思う。

今回私の実家族の各々について、ある程度の距離をとって考えてみると、私がこれまで悩んできた家族との関係性について、多少冷静に考えられるようになってきたと思う。

 私はこのまま実家族からの呪縛に取りつかれているわけにはいかない。私はもう25だし、結婚していよいよ親になろうとしている。元の家族とは違う家庭を持っているのだ。父、母、姉が誰ひとり、私がここまで苦しんできたことに気づいてなかったとしても(気付いているわけがない…泣)、私は私でこの壁を乗り越えられれば良いなと思う。よく言われるけど、相手のことはもう変えられないから、諦めて自分を変えるしかないのだ。長い時間を要するだろうけど、自分で自分のカウンセリングは続けていければと思う。

愛するあなたへ

2人で結婚指輪を受け取った日、

 

あなたは初めて私に手紙を書いてくれました。

 

保証書だと思ってごめんね(笑)

 

一人で店長にメッセージカードをもらいに行って、

 

私が昼寝をしているうちに、

 

図書館で書いてくれたんだったかな?

 

心のこもった「あなたを幸せにします」宣言に、

 

嬉しくて涙が出てきました。

 

ちゃんとしたプロポーズ、なかったからね(笑)

 

 

結婚して1年記念日。

 

何もやらなくていいよね〜と話していたけれど、

 

あなたは早朝突然ちょっと走ってくる、といなくなり、

 

帰ってきたら「つれそひ守り」を持っていました。

 

あの時は本当に、怒って出ていったのかと思ったよ。

 

心配で心配で、何をしてしまったんだろうと、そわそわしてた。

 

ひょこっと帰ってきてニコニコして渡されて、

 

状況がなかなか把握できませんでした。

 

まさかそんなことをしてくれると思ってもみなくて、

 

その時も泣いちゃったっけね?

 

 

そして先日、再びお手紙をくれました。

 

しかも一般公開で。

 

あなたが寝ているうちに気付いたので、

 

また涙が出ていたのは知らないかもね。

 

あなたは最近よく、

 

「何でそんなに優しいの?」

 

と聞いてきます。

 

「それはあなたを愛しているからです。」

 

「何でそんなに愛してくれるの?」

 

と聞いてくるかな?

 

「あなたが私を愛してくれるからだよ。」

 

あなたは自分のことはそんなに好きではないかもしれないけれど、

 

私はあなたの愛に何度も救われました。

 

あなたのおかげで、

 

こんなに幸せを感じられるようになりました。

 

あなたと一緒になってから、

 

私は本当に笑顔が増えました。

 

ありがとうね。

 

「結婚を決めたことに何の後悔もありません。」と宣言した結婚式。

 

あの言葉に、今も何の後悔もないよ。

 

これから先もずっとね。

 

ドタバタ入籍からあっという間に1年が過ぎたけれど、

 

今も新婚夫婦のように仲良しだね。

 

でもこの1年は色々なことがありました。

 

どれもどれも幸せでした。

 

あなたとなら、これから先もずっと、

 

新婚夫婦のようにラブラブでいられると思っています。

 

そして中身はきっと今以上に、

 

深い絆で結ばれていくんだろうね。

 

もうすぐ家族が増えるけれど、

 

あなたとなら何でも乗り越えられる。

 

私はどんなことがあってもあなたの味方だし、

 

私達ならどこにいてもやっていけるよ。

 

家族が増えてもいつかはまた2人になると思う。

 

2人の子供に会えるのは本当に楽しみだけれど、

 

また2人になれるその日のことも、すでに待ち遠しいです。

 

そのくらいあなたを愛しています。

 

あなたが隣にいてくれるだけで、私は幸せです。

 

これから先、何があるかは分からないけれど、

 

いつものように手を繋いで、歩いて行こうね。

 

「温かい家族を築きたい」というあなたの夢、

 

一緒に叶えようね。

 

私達のペースで、私達らしく。

 

 

 

 

素直な思いを相手に伝えるってやっぱり気持ちがいいね。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ見ぬわが子へ

もうすぐ会えるんだね。

 

パパもママもあなたに会えるその日を、

 

今か今かと楽しみにしています。

 

どんどん大きくなるお腹。

 

愛おしさもどんどん増します。

 

パパと一緒にお腹に手を当てて、

 

あなたがポコポコしたり、うにょうにょしたり、

 

元気だと私達も笑顔になります。

 

ベビー用品を買って、

 

ベビー服に水通しをして、

 

パパがにこにこしながら干した服たちを眺めます。

 

パパの笑った顔は、

 

目尻をしわくちゃにして、

 

可愛いたれ目がもっとたれ目になって、

 

本当に愛に溢れているんだよ。

 

早くあなたにも見せてあげたいな。

 

パパもママも、

 

その時を楽しみに待っています。

 

どんなお顔なのかな?

 

大きさはどのくらいかな?

 

この服着たらどんな感じかな?

 

そんなことを考えながら、

 

過ごす日々は本当に楽しいよ。

 

そうそう、パパは何度もエルゴを箱から出します。

 

何度もベビーカーを箱から出します。

 

その度に幸せそうな顔をするので、

 

ママは笑いながらそんなパパを写真に残しています。

 

あなたは沢山の愛を受けて、

 

もうすぐこの世界に産まれてくるんだね。

 

パパとママが精一杯、

 

あなたを幸せにするからね。

 

安心して産まれてきて大丈夫だよ。

 

あ、でももう少し待っててくれたら嬉しいな。

 

大好きなパパともう少し、

 

2人であなたの誕生を楽しみに待ちながら日々を過ごしたいな。

 

いつがあなたの誕生日になるのかな。

 

パパとママとあなたの3人で、

 

これから幸せに生きていこうね。

 

 

 

 

 

どん底にいた時の話(1度目)

病は気から。気にしないのが1番だよ

って、そういう問題ではない。バカか。

 

嫌なら嫌って本人に言えばいいじゃん

って、全く何も私のことをわかっていないし、見ようとしてない。あいつがどんなに私を苦しめてるかも分かってない。

 

まぁ仕事が大変なんだわ。

って、それだけでこうはならねぇよ。

 

友人

友達とご飯食べてストレス発散とかにはならないの?

って、友達に会うことすら気苦労なんだわ。そんな日常のストレスじゃないから。第一、友達に見捨てられてこうなったんだわ。

 

親友たちには、

その行動は理解できない。相手のこと考えられないわけ?あなたと友達であることも嫌だし、こういう話を今してるのも不快。せっかくの場でこういう話題は嫌だからもうやめよ。

と言われた。

その瞬間から、私はその場で話したことを後悔し、私はもうこの人達のことは金輪際信頼しないでおこうと決めた。距離感を大事にすることにした。

 

誰一人として、私がうつ状態と診断を受けたと言われた時、家族でうつについて勉強しようとした人はいない。深刻なことだと思っていなかったのだろう。可哀想な私。

 

あいつは論外。

大学4年の4~5月、私はあいつと2ヵ月同居した。というか、あいつが乗り込んできた。お前に拒否する権利はないと、私に有無を言わせずに。

しばらく同居してから、事後報告で、USBで画像をすべてダウンロードしてあると知らされた。訴えるための証拠確保らしい。実家に保管してあるからと言われた。でも、弁護士事務所でお前も非があり訴えられる可能性があるとわかり、結局相手を訴えることはやめたのだそうだ。その日から私は、部屋に盗聴器と隠しカメラが仕掛けられていると思いながら過ごした。電話はもちろん独り言も避け、背後を振り返りながら生活した。

 

どうして、人は勝手にこんな行動をおこすのか。何様のつもりだ。私の行動がそこまでいけないなら、お前のやったことも私の人権を無視した行為だ。私の存在を見下して、心の殺人とでも言おうか。

 

最終面接に残ったと仕方なく報告したら、

なんでそんなとこ受けているんだ。お母さんがどれだけ悲しむと思っているんだ。お父さんは殺しに行くかもしれないから言わないでいてあげてるのに。

5月中旬、内定出たら、

まだ受けてたのか。本気で行くつもりなのか。親不孝者。家族の縁を切りたい。お母さんも悲しんでそう言っている。

 

そうまで言われても、あいつの留学までの辛抱だと2ヶ月の同居を耐えて耐えて、5月末、ようやく留学に行った。家族のためにメッセージノートも書いてあげて空港まで家族と見送りにも行ってあげた。

数日後、すぐに留学先から連絡が来た。

今は何をしてるんだ。またどうせ連れ込んでるんだろ。

無視すると、また、毎日何度も、

今は何をしてるんだ。どこにいるんだ。

そしてあいつは就活のために何度も何度も帰国して私の家に泊めろと言った。うちは無理だとと言ったら、

誰のお金でそこに住んでいるんだ。

なぜ泊まらせたくないのか。連れ込んでるんだろ。

私はこれ以上関わりたくなかったので、近所のホテルに1週間泊まって家だけ貸した。

 

私は必死で毎日朝から晩までバイトをした。経済的にも完全に自立するために。もうひとりで生きていこうとしていた。

だがある日、起きれなくなった。バイトも無断欠勤からそのまま辞めた。毎日涙が出るようになった。声も出なくなってきた。

 

冬になる頃、私が心療内科に通院しているということを、家族にそれとなく伝えた。

あいつは心配している様子だった。私は呆れ、とんちんかんな反応に逆に背筋に震えが走った。きっと皆、就職前の不安からきていた病だと思っていたことだろう。誰も詳しいことを聞いてこなかった。気を使っていたんだろうが、それにしてももっとまともな大人はいないのか。ある日母にだけうつ状態と言われたことを打ち明けたが、

病は気からだよ~

と冒頭に記したことを言われた。

母はこういう人である。

 

 

今でも家族や親友たちから受けた仕打ちを忘れることはできない。完全に許すことはできない。重罪だ。適度な距離感で関わるつもりだ。たとえ家族と言えど、全信頼を置かない。

私は数名の別の親友と、偶然巡り会えたスクールカウンセラーによって当時救われた。死なないでいられた。当の本人たちは、私の本当の苦しみを未だに理解していない。

私は孤独の中ひとりで乗り越えて、なんとか入社式を迎えたのだ。

 

 

何年も過ぎ、あいつからネタにされるようになった。

そしてあいつは、芸能人のスキャンダルに笑った。

うちに上がり込んで勝手に本をあさり、「母という病」や「人を殺してはなぜダメなのか」というタイトルを見ると、

こんなん読むの?可笑しいんじゃないの?

人を小馬鹿にしたように笑う。

そういうあいつは非常に憎い。

誰のせいでこうなったのか。家族でなければとうに縁を切っている。

たとえ表向きには元通りになっていても、元通りにしてあげていても、私は絶対にそういう部分は許さない。認めない。欠陥女め。

あいつも精神問題ありだから同情する部分もあるが、だからといってそこまで私は心広くなれない。

 

 

家族や親友に見捨てられた、見放された、信頼を裏切った(?)裏切られた(?)という経験。

人生で1番忘れ難い絶望を思い出すと、今でも惨めで悔しくて泣ける。当時の怒りを思い出すと、言葉が有り得ないくらい汚くなる。
そして、今表向きは普通に接している事が不思議なくらいである。大人な自分を本当に褒めてあげたい。自分が家族で1番大人である。家族という離れられない関係。

 

ここまで書いてきたが、今気付いたことがある。

もしかしたら私は、幼い頃から家族や周囲に褒められたくて、信頼されたくて生きてきたから、

お前に裏切られた

もうお前には絶望した

お前とは縁を切りたい

というあいつの言葉は、私には最も酷な一言だったのかもしれない。あいつ含め、私は家族が大好きだからこそ、その言葉は私を崖から突き落とし、自分はもう生きていく価値はないと思ったのかもしれない。そうに違いない。

そのくらい衝撃的な絶望を味わった。

それでも必死でもう1度好かれたいと努力して、あいつを空港で見送り、就活を手伝って、必死でアピールしてすがったけれど、何度も何度もお前はダメ家族だと言われ、そして私は奈落の底に落ちていった。

私が勇気を振り絞って病気を打ち明けて助けを求めた時も、私が本当に救いを求めていた人は誰も、本気で手を差しのべてはくれなかった。

そうして私はもう諦めた。

心のどこかでは、未だに完全に嫌いになれていないことも自覚している。寧ろここまでされてもまだ、私は家族に好かれたい、大切にされたいと思っている。家族の絆とはある種恐ろしく不気味である。

けれども今は、今の私にはもっと大切なものがあるというのも事実。自分の居場所を幸いにも見つけることができた。この奇跡、誰に感謝したらいいか分からないが、本当に心からの幸せを感じさせてもらって、ありがとうございます。

自分の今の家族には、絶対に自分のような絶望を味合わせたくない。だからたくさん本も読むし、辛くても過去についても考える。私は今の家族を心底から支えられるくらい、強くなりたいのだ。

 

どうか、お願いします。

 

 

理想の子育て/経験や人間関係から心の病について考えたこと

今日は長々と書きたいことを書く日。

 

最近は産前休でやることリストも一通り終え暇なので、読書ばかりしている。専ら読むのは「子育て」関連、「心の病」関連のどちらかだ。勉強になる本もあるし、微妙な本もある。読書は面白い。

子育てに関しては、やはり「自己肯定感」をつけることが一番だと捉えている。子供に自己肯定感を持たせるには、まず第一にたくさん愛すること。「愛情の与え方」というと、過保護になったり…だとか、またややこしい問題にもなってくるけれど、基本的にはたくさん抱きしめて、無条件の愛情を注ぐ。子供が産まれてもきっと私達なら大丈夫だと、根拠はないが、自分達の育児に関してはそこまでの心配はしていない。パートナーとの信頼関係があれば、何でも乗り越えられる!

 

「心の病」関連というのは、うつを始めとする病気についてや、精神療法についての本を読んでいる。私は、うつの一種であるという適応障害(本当に自分がこれだったのかはよく分からない)を経験して、今も完治に至っていない自覚があるので、うつ全般について学んだり、認知行動療法などについても学んでいる。

基本的な内容でも漫画であったり分かりやすくまとまっていれば楽しく読める。

でも時々、薄っぺらすぎてなんだかなーという時や、やたら難しい言葉でよく分からないときもある。良い本に巡り合った時は気分が晴れ晴れとする。カウンセラーさんと出会う時も、自分に合う人と合わない人がいるので、合わなければ他の人にしてみよう、くらいの気持ちでいれば良いと思う。(私は7人の専門家と関わったが合ったと感じたのは2人だった。)

 

自分としては、2度病気を経験したと思っている。そして今も継続治療中だ。

一度目は大学4年生のとき。二度目は社会人一年目のとき。

一度目は、自分のしたことで家族と親友たちに見捨てられ縁を切りたいと言われ、自暴自棄になって異性を求め続けた。結果、完全に都合の良い時に現れてくれる女で、心は抜け殻状態になってしまった。良いカウンセラーさんと巡り合ったおかげで多少持ち直し入社式を迎えたが、それでもしばらくはその異性関係は変わらなかった。その時その瞬間を支えてもらったことは感謝しているが、本当に私を大切に思ってくれる人はいなかったのかもしれないなーと思うと、昔の自分が哀れだ。みんな自分が一番大事だから仕方ないかもね。

そうこうしていると二度目の病気。今度は職場の人間関係にやられた。一度目の発症初期に死ぬ気で就活をして、皮肉にも超大企業に決まり、それも超忙しい部署に配属されたおかげで、期待に応えたいと死にもの狂いで働いた。事務なのに終電まで働くことに使命感達成感を感じるようになってしまっていた時点で、もう私の頭は忙殺されていたのだと思う。部署の人々は皆異常に忙しく、常にピリピリした空気で様々なことを言われ、元々キツイ言葉に打たれ弱かった私は次第に体がもたなくなり、心も持たなくなった。その頃にはもう心身の疲労で気付いたらホームから転落するか、自宅で包丁を持っていそうな程だった。

 

私の人生は、自分で言うのもおかしいかもしれないが、なかなか壮絶だと思う。様々な報道や事件と比べると、そんなことは決してないかもしれないが、きっと私と普段関わっている人たちは、こんなのんびり見える私がそんな人生を歩んできたとは思わないと思う。

当時は、「いつかきっと良くなるよ」みたいな言葉は全く受け付けなくて、「バカかこいつは」と内心思っていたけれど、今は、「とりあえず死にたくても生きていた方が良いよ」と言いたくなる気持ちがすごく分かる。「騙されたと思って~した方が良い」って言うのは、まさにこういう時にいうのかもしれない。いつになるか分からないけど、何でもいつか良い方向にきっと進むと思う。まぁその時は本当につらいんだけど。味方が一人でもいるならきっと大丈夫。味方がいなくても、何か行動すれば現れると思う。

 

今でもふとした一言をきっかけにフラッシュバックしてくるときがある。今回妊娠をして、上司にマタハラを受けたときには久々にまいった。やはりうつは再発しやすいんだなー。

ちょうどタイミングよく産休に入ったが、復職時には、絶対に同じところには戻りたくないし、絶対に戻らないように上手くやってやるという思いもある。

やっぱり、精神的に体調を崩したことがない人は、こういった病気に対する理解には乏しいと思う。それは仕方のないこと。だって経験してないからわかるわけがない。でも理解しようと話を聞くことはできる。一番重要なのは、話を聞こうとする姿勢があるかどうか。これがない人が周囲にいるともう最悪な地獄と言えるかもしれない。

とにかくこの場合は、そういう人とはなるべく関わらないことが一番。余計な一言を言われて傷つくのはまっぴらごめん。

私が最も嫌い・苦手な人物は、「人を否定する人。決めつける人。」だ。

本当にその人が何歳だとしても、相手がそのようなタイプだったとわかれば、もう関わりたくない。こういう人は案外近くにいて、家族にもいるし、友人にもいるし、同僚にもいたし、先輩にも上司にもいたし…。次第に付き合う人々が変化していくのは、自然なことであり、そこに寂しさを多少覚えるが、別に気にする必要もない。大切にしたい人を大切にすれば良い。(私はいまだに、当時私を見捨てた人々を許していない=その時から良い距離を保つよう心掛けている。全信頼はもう置いていない。)

上記のような人々は、人の話を本気で聞く気がない。というと語弊があるかもしれない。本人からしたら、もしかしたら本気で相手のために考えているつもりなのかもしれない。「あなたのためなのよ」と言われることは、こちらからしたら自分の考えを押し付けられていると感じる。「あなたはそんなふうだからいけない」「こうすべきだ」「あなたは私を裏切った」などと言ってくる。そして、こういう人に限って、病気だと告白すると、「私の家族にも同じ病気の人がいるけど…」と言って、的が外れたアドバイスをしたり、自分の知り合いの病人と比べて「あなたは全然ましな方だ」とか言ってくる。その人は本当にその病気の家族の支えになってあげれてるのか。自意識過剰な気がしてならない。人は似た経験をしていても、各々の考えや感じ方は絶対違うんだよ。目の前の相手をちゃんと見たらどうですか。

と同時に私自身も、自分が経験者だからと言って、安易な発言はできないなと改めて気を引き締めたい。

 

なんだろうな…うまい表現が見つからない。

私が本当に苦手な人は、【浅い考え方で物事や人の中身を判断する人/発言がキツくて思い込み決めつけ型の人】と言った方が適当かもしれない。上から目線で言っているわけではないけれど、ただ、私とタイプが違うから、こういう人と関わるとお互いイライラしやすいのかもしれない。そしてそのイライラを私は相手にぶつけないから、一方的に私が傷ついてしまう。

相手の立場で物事を考えることは、理想だけれども突き詰めると非常に難しいこと。「互いを干渉せずに、互いの存在や考えを尊重し合うこと」は、本当に難しいんだなと思う。けれど、それが難しいことだと理解して、その上で相手の本当の気持ちを理解したいという気持ちがあるかどうかがきっと重要なのだと思う。

 

そんな経験から、私が生きていくうえで一番心掛けたい目標(そんな大きく言えないかもしれないが)は、「相手の本当の心を聞いて、少しでも何か、支えられるようになること」。私はやはり、人の心の支えになりたい。近くで寄り添って、背中をほんの少しでも前に押せるような、そんな人になれたらな、と思う。

 

これは私自身、自己肯定感が低いからこそなのかもしれない。病気になってから3年強カウンセリングを続けているが、私は育った環境から、自己肯定感が低い。人の役に立つことで、人を支えている実感を持ち他人に認められることでしか、自分を認めてあげられないのかもしれない。たとえそうだとしても、今の私が望むことがそれなので、それでいいんだと思う。今は自己肯定感を高めるためのカウンセリングを受けている。

今の私にとって、一番大切なものは家族です。自分が育ったところではなくて、今の家族。主人ともうすぐ産まれてくる息子です。なので、一番この2人を支えたい。

一番大切な人と幸せな毎日を過ごすために、自分のすべてを捧げたい。

 

うつ等の精神的な病については、理解がないことが多々ある。と言われている。妊婦やワーキングママに対するそれと同じで、職場や部署にもよるのだろうが、この辺りはもう運に任せるしかない。私は自分が病気だということをあまり隠していないけれど、隠したくなる気持ちも仕方がないと思う。偏見を持っている人も多いから。(そもそも「病気」という言葉で括るのも難しい。「病気(うつ)」と言われるから表だって言えない気持ちが出てきてしまうのだから…。まあ括らなければ色々厄介だから仕方がないのだけれど。)偏見を持つ人は、その人自体に問題アリな人が多いんではないかと思う。(問題アリにも色々いるから注意したい)そういう人とはあまり関わりたくないものである。何度となくそういう厄介な人にやられて傷ついて、今やこっちが厄介者というレッテルを張られているかもしれないが、そんな苦しい毎日にも味方になってくれる人はきっといるので、信頼できる人に頼りながら、嫌な奴はほかっといて、適当にうまくやっていければと思う。腹立たしいことはすぐに忘れて、大切な人たちとの毎日に幸せを感じていければ、自分の人生は最高だ!

 

あと、「真面目な人がうつになる」という括り方もあまり気に食わない。真面目であることも、うつになることもマイナスに表現されている。うつになる人は、周囲のことを気にかけすぎるんだと思う。自己評価が低いから、周囲の評価に振り回されやすいんだと思う。人に優しすぎる人とか。だから、うつになる人は別に弱い人間じゃないんだよなぁ…。むしろ周囲を考えられる強さを持っている人もいる。極端かもしれないけれど、うつになることがプラスイメージになるくらいに天地がひっくり返ればいいのにな。

 

 さ、そろそろ夕飯の支度!